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彌次喜多 名君初上り[やじきた めいくんはつのぼり]
『彌次喜多 名君初上り』(やじきた めいくんはつのぼり)は、日本のオペレッタ時代劇映画である〔''弥次喜多 名君初上り''、日本映画データベース、2012年11月26日閲覧。〕〔''弥次喜多 名君初上り''、日活データベース、2012年11月26日閲覧。〕。1940年(昭和13年)の日活京都撮影所製作、日活配給作品、日活とテイチクの一連の提携作品のうちの一作である〔〔。監督は当時31歳のマキノ正博、のちの巨匠・マキノ雅弘の戦前のトーキー作品である〔〔。 == 概要 == 1939年(昭和14年)末に急遽製作された『鴛鴦歌合戦』は、片岡千恵蔵の急病による休養のため、本作を撮影する予定で編成したスタッフ・キャストを流用した急造作品で、主演の片岡の出番は巧みに少ないが、本作は片岡の回復を待って、改めて製作されたものである〔マキノ、p.446-450. 同箇所では本作の脚色者の正体(山上伊太郎)は明かされていない。〕。ただ、本作は、前作のように、脚本作成から完成まで「10日間」、主演の片岡の撮影時間が「2時間」、といった尋常ではない「撮って出し」のスケジュールではなかったが、同年12月29日の仕事納めまでに完成をしなければならなかった〔。 本作の「原作・脚本」としてクレジットされているのは山上伊太郎であるが、山上は原案のみで脚色したのは別人であり、それを知ってがっかりしたとマキノは後述している〔。 現在では、当時わずかな日程ででっちあげられた『鴛鴦歌合戦』の方が名が知れ渡り、東京国立近代美術館フィルムセンターにも所蔵され、DVDも国際的に販売されているが、本作は同センターに所蔵されておらず、したがって上映用プリント等の現存は確認されていない〔東京国立近代美術館フィルムセンター「所蔵映画フィルム検索システム 」での検索結果の記述を参照。2012年11月26日閲覧。〕。現時点での知名度も低い。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「彌次喜多 名君初上り」の詳細全文を読む
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